壁と卵

村上春樹のスピーチは素敵だと思うけどちょっと別の小話。


http://anond.hatelabo.jp/20090218005155

ええ、どんなに壁が正しくてどんなに卵がまちがっていても、私は卵の側に立ちます。何が正しく、何がまちがっているのかを決める必要がある人もいるのでしょうが、決めるのは時間か歴史ではないでしょうか。いかなる理由にせよ、壁の側に立って作品を書く小説家がいたとしたら、そんな仕事に何の価値があるのでしょう?

http://anond.hatelabo.jp/20090218005155

私が小説を書く理由はひとつだけです。個人的存在の尊厳をおもてに引き上げ、光をあてる事です。物語の目的とは、私たちの存在がシステムの網に絡みとられ貶められるのを防ぐために、警報を鳴らしながらシステムに向けられた光を保ち続ける事です。


このあたりの話って、半ば字義通り取るとまんま「安全工学」だよなあ、と今日出勤してるときに思ったらわくわくした。


「どんなに壁(=システム)が正しくて、どんなに卵(=ユーザ)がfoolで間違っていても、私は卵の側に立ちます」
「クレーンとロボットと高エネルギー装置は高い壁です。卵とは、押しつぶされ焼かれ撃たれる非防護の労働者です」
「いかなる理由にせよ、壁の側に立って設計をするエンジニアがいたとしたら、そんな仕事に何の価値があるのでしょう?」


今日みなさんにお知らせしたかった事はただひとつだけです。私たちは誰もが人間であり、国籍・人種・宗教を超えた個人です。私たちはシステムと呼ばれる堅固な壁の前にいる壊れやすい卵です。どうみても勝算はなさそうです。壁は高く、強く、あまりにも冷たい。もし勝ち目があるのなら、自分自身と他者の生が唯一無二であり、かけがえのないものであることを信じ、存在をつなぎ合わせる事によって得られた暖かみによってもたらされなければなりません。
ちょっと考えてみて下さい。私たちはそれぞれ、実体ある生きる存在です。システムにはそんなものはありません。システムが私たちを食い物にするのを許してはいけません。システムがひとり歩きするのを許してはいけません。システムが私たちを作ったのではないです。私たちがシステムを作ったのです。


皆様どうぞご安全に。


(訳者の元増田と、先日安全工学を教えてくれたお茶大社会人向け講座&産業医大の皆様に感謝)